ひみつきち

子供の頃、秘密基地作ったよなぁ?
先日、会社でそんな話になりました。
そういえば作ったよね、秘密基地。今日はそんなお話。



うちの近所には堤防向こうに大きな公園が横たわっていて、子供の頃からそこは俺達の遊び場だった。広すぎてその全容を知っている子供は多分いなかった。

そんな公園だから毎日が探検だった。
整備された遊具やサッカー場、野球場は勿論のこと、子供の背丈ほどある葦が生えていたり、広い雑木林、ザリガニ取り放題な沼。多分男の子がほしがる物はそこになんでもあった。

そこで誰からともなく作り始めた秘密基地。
グーニーズ、スタンドバイミー、ぼくらの七日間戦争…子供心をくすぐった映像に感化された悪ガキ達は、とにかく冒険をしたかった。

背丈ほどの草むらの中にある、少し開けた空間。
そこが秘密基地だった。
拾ってきたトタンや木切れで壁ができた。
ビニールシートで屋根がついた。
○×にたたみが捨ててあんぞ! と聞きつければ畳を拾いに行った。
そうして俺達の秘密基地は、手作り感満載ながらも風雨がしのげる日々の遊び場として確固たる存在感を持つようになっていった。

ある日、その造成に加わっていた友人の一人が、さもうれしそうな声で俺たちを家に呼んだ。
そいつの家は土建屋で、不要になった発電機を俺達は見せられた。
今思えば本当に不要なのか?と思わざるを得ないけれど、とにかく俺達は狂喜乱舞して、そいつを神輿の如く基地に運び入れた。

電源を得た秘密基地は、それはもう俺達の城とでも言うべき存在だった。
夏休みは虫取りの拠点だったし、菓子を持ち込んではばくばく食った。
電気があるからお湯を沸かせた。あそこで食ったカップめんの味は世界一だと今でも思う。
俺達しか知らない俺達だけの場所 という特別な空間は、まるでいつまでもそこにあるかのような錯覚に俺達を陥らせた。


いつものように秘密基地へでかけていくと、様子が違う。
終わりなんてあっけなくやってくる。
まだ造成途中の公園が、更に整備によって広がるのだ。
フェンスが張られていた。
草は刈り取られ、俺達の秘密基地は跡形もなく消えていた。


ザリガニ取り放題だった沼は貯水池に形を変え、俺達の基地は綺麗な原っぱになった。





あの頃の…子供の時の気持ちってどこに置いてきたんだろうな、どこいったんだろうなと考える事がしばしばありました。
けれど先日twitterで、大好きなアーチストの方がリプライ下さった言葉。
「きっと置いてきたんじゃなくて、カラダの中にずっとあるけれど、思い出せないだけかもしれませんよ。」
それは目から鱗だとレス返した俺に、その方はこう続けた。
「一回気付けば、案外すぐ見つかるかも(笑)」
それに気付いたこどもの日。


多分、ついこの間まで俺はぼやいていたでしょう、こんな感じで。
子供の頃はもっと空青かったよなぁ。夕焼けが綺麗だったよなぁ。
子供の頃は暇だとか退屈だとか考えた事なかったよなぁ。


いや、空は今も青いままです。
夕焼けは今も変わらず綺麗です。
そして生きていることは退屈じゃありません。
秘密基地はもうなくなってしまったけれど、あの時そこではしゃいでいた子供は紛れもなく今の自分なのです。
きっと、後ろを振り返ることで、どちらが前なのかを知ることができる。

思い出は、単なる手の届かない郷愁などでは決してなく、前を向く糧なんだって事、忘れちゃいけないね って思います。

先週の総括的な。

先週は予定ががっつり詰まってなんだかやけに充実していたので、忘れないように書きとどめておきますw俺メモです。

月曜日
親友と飯。Twitterで話題を振りまいた「だいすき日本」でカレーを食す。
バターチキンカレーのうまさに惚れる。あとビカスさんの人柄にも。
ちょくちょく通って色んな味を試したい!


火曜日
終日休とって、野球へ。(県営大宮、横浜戦)
開場時間直前まで雨が降り続くも、時間になったらすっかり止む。
考えてみると子供の頃から、野球は勿論例えば遠足だったり…という時に雨降った記憶があまりない。ついてんのかな。

涌井おかえり試合。
調子を落としていた中村にも立て続けにタイムリー打ってたし、無難に勝った試合。
大宮では勝たねばなりませぬ。
涌井を生で見るのは今シーズン3度目でしたが、やっと勝ちが見れました!いつも好投しつつ負けが…だっただけに、これは嬉しい。
あ、この日はですね、きっとこれから先野球観戦親友になってくれるであろう方と初めて会いました。w


水曜日
西武ドームで野球観戦、横浜戦。
ドームついた時に、Twitterで相互フォローしてる方にご挨拶できました。
こうして野球から輪が広がっていくのは本当に嬉しいことで。次は一緒に声だしましょうね!
試合の方は、一久のピッチング、球のキレ、もうびしばし伝わってきました。
要所で三振を取り、グラブひとつぽーんと叩いてベンチへ引き上げる様がもうね、かっこよくて。
神ピッチと序盤大炎上。どっちが本当の一久なんでしょうねw


木曜日
長野出張〜さいたま新都心けやき広場でビール祭り。
このイベントは最高でした。
ビールに、食べ物に、浴衣美人に心奪われつつ、外で飲んだくれる。素晴らしい。
仲間をガンガン呼んでたら、
最終的には大人数の騒がしい一団になりました。
うにの貝焼き最高。グレープフルーツのビール万歳!


金曜日
西武ドームで中日戦。
プロになった牧田のピッチングを初観戦。
確かによそ見してると一球投げ終わって歓声が上がってるというテンポ良い投球。
8回裏までは、全てが理想型。
9回、まるでゲリラ豪雨に遭ってずぶ濡れにでもなったかのような衝撃的展開。
そりゃ、牧田が完封するぞー!ってところから、いきなり5点差ひっくり返されちゃね。
ただ、勝負は時の運。
こっちが勝ちたいと思ってるのと同じだけ、向こうだって勝ちたいと思ってやってる。こんな日もあるやね。
とは言え、飲んで帰宅w
飲んだおかげで悔しさ半減。ありがたいこってす。


土曜日
朝からでかける。
この日の出来事は、自分の胸に秘めておきますw
いい日だった!


日曜日
クールダウン。一日ごろっと。


かなりの充実っぷりを誇った一週間でした。
これもお付き合いしてくれる方々のおかげです。
さて、今週もがんばんべー!

ライオンズ

初回はやっぱり野球の事でも書いてみようと思います。

ライオンズが西武ライオンズになったのは1978年オフ。79年シーズンから西武ライオンズとして生まれ変わったのですが。

俺の生まれも1978年。

親がセゾン系企業に勤めていたおかげで、生まれたときから自分の周りにはライオンズがありました。

確かに写真に写る乳飲み子の自分はレオのタオルにくるまれていたり、身の回りに何かしらのライオンズグッズがあった気がします。

そんなこんなで、レオ帽子被って走り回るような子供として育った自分。

そんな少年期、ある時渡辺久信現監督と握手してもらえる機会がありました。

「ボクは将来野球選手になるの?」

「ならない、応援してるほうが楽しいから!」

「そうか、じゃあずっとライオンズ応援してくれよな!」

なんていうやり取りがありました。

監督、今も変わらず応援してますよ。

その印象が凄まじく残っているから、今この歳になって改めて思うのは、もしも選手達の好意でサインもらえる機会があったり、一言二言話ができるチャンスがめぐってきたとき、どうか周りを見回して小さい子がいればその子を一歩前に立たせてあげてほしいなーということ。

俺は応援するのが大好きだし野球の才能のかけらもなかった人間だけど、もしかしたらその子は10年後のライオンズ先発を背負って立つエースになってるかもしれませんよ。w

感受性の強い時期に受けた言葉は深く残ります。

そうやって、喜びを分かち合えるライオンズファンが一人でも多く増えていったらいいな。

件の親に試合を見せたくてバックネット裏に座った時のこと。

構造的に、下の選手通路を見下ろせる場所があるんです。

そこにいた小さい子が、下を通りかかった某選手に向かって、

「○○選手、頑張ってください!」ってでっかい声で叫んだところ、その選手は立ち止まり振り返って子供を見上げ、

「ありがとう!今日は寒いから君も風邪ひくなよ!」って手を挙げて答えていました。

そういわれたときのその子供の凛と輝く笑顔、こりゃもう最高でしたよ。

そんな想いを持つことができる子供が、一人でも多く増えますように。

大人になったと感じたとき

今週のお題「大人になったと感じたとき」

我を通さなくなった時、ですかね。

好きな物は好き。嫌いな物は嫌い。
だけど、俺の嫌いな物を好きだと思う人もいる。

ぼんくら子供だった時は(今もぼんくらにかわりはないですけどw)、何も考えずに「そんなの嫌い」「そんなのいらない」って平気で言ってしまってたような気がします。

好きだけを受け入れて嫌いをはねつける事は、自分の世界の中であれば全く当たり前の事だとは思います。だって好きだもの。だって嫌いだもの。
けれどそこに他の人が入ってきたときに、その人の好きな物、大切な物、考え方や価値観を平気で「そんなの」呼ばわりできちゃうような人間にはなりたかないなと思うし、実際そこができて初めて大人なのかな、と。

別に自分の気持ちを押し殺すとか、我慢するとかそういう事じゃなくて。
自分と真逆の考え方をする人もいる 自分が嫌いだろうと、それを大事に思う人は他にいる って事を念頭に置いた上で人と話ができる事。

重要なんじゃないかなぁと思います。


悪い言葉で拡大して言えば、「しがらみ」なのかもしれません。
けれどそれを面倒ととらえるのか、相手と楽しく話すために自然とそうなれるのか。

相手と接するなら、楽しい方がいい。
どうせやらなきゃいけない事なら、できるだけ気分良く過ごせた方がいい。
相手が笑ってた方が、自分も楽しいじゃない。

自分の意見を「そんなの嫌い」っていうところまで100%言葉に出さなきゃ満足できないような語りをしてるうちは、大人じゃないのかもしれません。

俺がそれをきちんとできているかといえば…どうなんだろうなw精進します。